<毛利シリーズ㉔話>
時は戦国時代 後期
天文24年(1555)9月
厳島の大内軍2万に対し朝駆けの奇襲策にて勝利した毛利軍は、その勢いのまま大内領への侵攻を開始。
北の石見には毛利元就の次男 吉川元春を、西の周防には当主 隆元率いる毛利主力や小早川軍 村上水軍を動員し『防長経略』と呼ばれる大内討伐の戦いは始まった。
順調に石見国衆を従属させていく吉川軍に対し周防攻めは難航するも、元就の奇策により天然の要害 須々万沼城を落とし、時を同じくして 別働隊の杉重輔 正重兄弟の隊が、陶家の居城 若山城攻めを成功させたため 隆元や元就は 悠々と富田に入った。
この毛利の進軍に怯えた防府の右田隆量や 仁保隆慰といった大内の重臣が続々と毛利に転じたため
大内家当主 大内義長や 参謀 内藤隆世は 居館を捨て高嶺城での籠城策を選択し大友へ援軍を要請。
しかし 義長の兄である 大友義鎮は 備中までの瀬戸内を掌握する毛利との敵対は避けたいこと、なにより 九州北部への侵略に兵を割いていたこともあり弟を見捨て 毛利と通じる選択をした。
山口に陣を進めた毛利隆元は、人質として少年期を過ごした山口を大切に思い、放火や乱暴狼藉は御法度とし寺社や民と分け隔てなく接した。
このことが重税に苦しめられていた民らの心に刺さり、そして高嶺城に籠もる城兵らの戦意を下げることに繋がった。
次々に兵が抜け出す状況を見た内藤隆世は本貫である 長門の荒滝山城での籠城策に切り替え、義長を周防から逃がすも 荒滝山城の留守居 内藤隆春が毛利に転じたため、義長らは更に西へと逃げざるを得なくなった。
長門への逃亡を知った隆元は 即座に追撃を指示。
防府に陣を置く元就が予め湊封鎖を命じていたこともあり 義長らは長門から抜け出せず、なんとか勝山城に逃げ込むも ほどなくして数万の毛利軍に城は包囲された。
降伏を決断した義長は城を下り長福院へ移され、内藤隆世は城内で自刃。
義長もその翌日に寺で自刃となり 大大名 大内家は滅亡となった。
このことを防府本陣で聞いた元就は ある決断をする…
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※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2025年時点での歴史資料を元に作成しております
※イラスト提供:史環 殿
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